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 羽黒山・出羽神社
 
 はぐろさん・いではじんじゃ






爺杉と五重塔
(撮影日:2011年7月26日)


出羽神社について  
 山形県鶴岡市東方の山峡に位置する羽黒山は、西の祓川(ハライガワ)と東の立谷沢川(タチヤザワガワ)にはさまれた海抜414mのゆるやかな丘陵である。
 
 出羽三山のうち月山(ガッサン)・湯殿山(ユドノサン)の両神社は人煙から遠く離れ、冬は深い豪雪のために参拝が困難であった。 そのため、羽黒山々頂の出羽神社を月山・湯殿山の里宮として豪壮な合祭殿を建立し三山の祭神を合祀し本社としている。
 出羽の国の国御霊である伊氏波(イデハ)神と穀物霊である稲倉魂命(イナクラタマノミコト)が鎮まる羽黒山は、三山の神々を合祀する山であると同時に、古来、大堂・本社とも称せられ羽黒修験道の拠点として栄え、今も四季を通じて参拝者は後を断つことがないという。

 静かに聳え立つ五重塔周辺の杉木立の中で同化するように一人佇むと、からだの中に次第に漲る力を感じた。ここは、パワースポットだ。





羽黒山宿坊 神林勝金
冠木門(かぶきもん)に注連(しめ) 宿坊(しゅくぼう)



正善院黄金堂
源頼朝が平泉の藤原氏を討つにあたり、勝利祈願のため寄進したと伝えられている寺。
境内には黄金埋蔵の伝説が残っている。国指定重要文化財。


表参道入口


隋神門(ずいしんもん)
随神門より内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がる。
随神門はこの広い神域の表玄関である。この門は初め仁王門として元禄年間
秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けた。


隋神門(ずいしんもん)


末社羽黒山天地金神社
応永4年学頭法性院尊量により創建されたが、兵乱のため大破し、
羽黒山智憲院宥然により安永8年に再興された。大師堂と称していたが、
須佐之男命をお祀りし、天地金神社となる。


継子坂


末 社





祓川(はらいがわ)に架かる神橋(しんきょう)


須賀(すが)の滝
滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し
祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。



五重塔(国宝)
一の坂の登り口左手に、杉木立に囲まれて、五重塔が聳え立っている。


古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院があったが、今はなく五重塔だけが
素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で、聳り立つ杉小立の間に建っている。


創建は平将門、現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)庄内の領主で、
羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられている。


東北では最古のすぐれた塔である。


鏡 池
東西38m南北28mの楕円形のこの御池は御本殿の御手洗池であり、年間を通しほとんど水位が変わらず、
神秘な御池として古くより多くの信仰をあつめ、また羽黒信仰の中心でもあった。
人々より奉納された銅鏡が埋納されていることから『鏡池』と言われている。



末 社
出羽三山には百一末社と称し、羽黒を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在している。
写真の末社は左から大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社。









三神合祭殿と鐘楼



鐘楼と建治の大鐘(国の重要文化財)
堂は鏡池の東にあり、切妻造りの萱葺きで、小さいが豪壮な建物である。
最上家信の寄進で元和4年再建した。山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物である。



建治の大鐘(けんじのたいしょう)
鐘は建治元年の銘があり、古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きい。
鐘の口径1.68m(5尺5寸5分)、唇の厚み22cm(7寸1分)、また鐘身の高さ2.05m(6尺7寸5分)、
笠形の高さ13cm(4寸4分)、龍頭の高さ68cm(2尺2寸3分)あり、総高2.86m(9尺4寸2分)である。



三神合祭殿(さんしんごうさいでん)
社殿は合祭殿造りと称すべき羽黒派古修験道独自のものである。


高さ28m(9丈3尺)桁行24.2m(13間2尺)梁間17m(9間2尺4寸)で主に杉材を使用し、
内部は総朱塗りで、屋根の厚さ2.1m(7尺)に及ぶ萱葺きの豪壮な建物である。



現在の合祭殿は文政元年(1818)に完成したものである。
平成12年、国の重要文化財に指定された。





建設当時は赤松脂塗であったが、昭和45年〜47年にかけ開山1,380年記年奉賛事業の一環として
塗替修復工事が行われ、現在に見るような朱塗りの社殿となった。



厳島神社と蜂子神社
出羽三山神社御開祖・蜂子皇子を祀っている。




山頂鳥居
参道の2,446石段の尽きるところ朱の鳥居がある。もとは江戸講中より寄進された青銅の鳥居があったが
戦争で供出された跡に庄内の生徒や学童の寄付によって建立されたものである。



     ( いでは冬景 )

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