八幡平は、昭和11年十和田湖が国立公園に指定された後、十和田国立公園の拡張区域として昭和31年7月、十和田・八幡平国立公園として指定区域になった。岩手県、秋田県にまたがる面積4万ヘクタールの国立公園だ。
八幡平、大深岳、岩手山、駒ケ岳、焼山、茶臼岳、畚岳など、地質学的に各種、各様の火山により形成され、八幡沼、ガマ沼、御苗代湖など、火口湖も数多く存在する。後生掛、玉川、蒸の湯、藤七、松川、網張、乳頭温泉郷などの湯量豊富で泉質の異なる情緒豊かな温泉も点在している。しかし、八幡平には噴火記録はないという。
山腹部のブナ林、その上のオオシラビソ林、さらにその上のハイマツ林など、原始性の高い多様な森林景観を有し、比較的緩やかな地形に加え残雪も多いことから、随所に雪田や湿原が発達し、高山植物群落や、湿性植物が多く見られる。
八幡平という名の由来には次のような伝説が残っている。時代は坂之上田村麻呂の奥州征伐にまでさかのぼる。敗走する大猛丸一族の追撃の際、現在の八幡平山頂にある八幡沼付近に到達した田村麻呂は眼前に広がる神秘の風景に感銘し、ここに八幡大菩薩を奉じて戦勝を祈願したという。
|
八幡平の山容は、平というだけあって山頂(1,613m)もほぼたいらで面白味はない。だが、アスピーテライン、樹海ラインから見られる原生林、湖沼群、そして雄大な稜線を見せる岩手山と雲海の織り成す景観はなんとも格別ですばらしい。
そのアスピーテラインを見返り峠に向けて登っていくと突然、露天掘りされた痛々しい山肌とコンクリートの廃墟群が出現する。
大正初期から昭和にかけて栄えた松尾鉱山跡だ。最盛期には日本の硫黄総産出量の3割を占めたという。坑道から流出する酸性水による公害問題もあった。その後、硫黄の生産が回収硫黄に代わり昭和47年に閉山した。
住民を失った集合住宅は、単なるコンクリート塊と化し、朽ち果てていく。異様な佇まいを見せる建物の室内には草木が生え立ち、窓から顔を出している。あたかも現在の住人は私たちだと言わんばかりだ。
この鉱山の盛衰の一部始終を見てきた八幡平の厳しい大自然が、その歴史の跡形を草木たちにより勢い良く覆い隠していく。
太古の昔の八幡平の自然の姿を一日も早く取り戻そうとしているかのように・・・。 |