1,000m級の山々が連なる広大な紀伊山地。その中に高野山という名の山はない。
標高900mの山中に忽然と現出する東西5キロ南北3キロの平坦な盆地が高野山と呼ばれている。
和歌山県伊都郡高野町.。およそ1200年前、弘仁7年(816年)に弘法大師空海によって開かれた高野山は、真言密教の聖地としての歴史を重ねてきた。
高野山への代表的な参詣道であった町石道(チョウイシミチ)を登りつめた先に大門がある。
生前幾度となく高野山を訪れた作家,司馬遼太郎は『高野山管見』の中で「大門のむこうは天である」と記している。真にこの地は、唯一といえる異域である。
天空の地に点在する数多くの寺院(2013年現在117、内52が宿坊寺院)では古来より多くの僧侶が修行を続け空海の教えとここで育まれた文化を継承してきた。
高野山には2大聖域がある。弘法大師が曼荼羅の思想に基づいて創建した「壇上伽藍」と呼ばれる広大な道場。 そして、弘法大師空海が眠る「奥之院」。
壇上伽藍(ダンジョウガラン)には、真言密教の根本道場として建立された高さ48.5m、日本初の多宝塔で、立体曼荼羅が広がる根本大塔。
開創当時は講堂と呼ばれ、一山の総本堂として重要な役割を果たしてきた金堂。
その内陣は、大日如来を中心に金剛界・胎蔵界曼荼羅(コンゴウカイ・タイゾウカイマンダラ)が左右に掲げられ、大宇宙観が創出されている。 |
さらに不動堂、東塔、大会堂、愛染堂、御影堂、准胝堂、孔雀堂、西塔など貴重な建造物が並ぶ。
仏教寺院であるが、壇上伽藍には御社(ミヤシロ)と呼ばれる明神社もある。
空海が山麓にあった丹生(ニウ)明神、高野明神(狩場明神)を高野山の鎮守としてこの場所に勧請したものだ。社前の山王院は、その拝殿である。
そして、奥之院(オクノイン)。
樹齢4〜500年の杉並木が続くおよそ2キロの参道。空海が眠る霊廟まで続く聖域である。その両側には数十万基の苔むした慰霊塔、墓石群が並び、訪れるものを幽玄の世界へと誘う。
高野山は古くから極楽浄土の地とされていたので法然上人、親鸞聖人、皇族など宗派を問わず様々な歴史上の著名人が空海の御廟の近くに墓を設けている。
最も多いのは全国の諸大名の墓で、織田信長、明智光秀、豊臣家、徳川家、伊達政宗、上杉謙信、武田信玄などの戦国武将も敵味方を問わず一緒に眠っている。
玉川に架る御廟橋の先は高野山で最も神聖な場所。空海が62歳で入定し、即身仏となったといわれる奥之院御廟(オクノインゴビョウ)。
弘法大師空海は今もここで生き仏として祈りをささげているとされる。
高野山は、平成16年(2004年)、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界文化遺産に登録された。
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