今年も相馬の男たちが、『侍』 になった。
相馬野馬追とは、江戸時代末期に書かれた相馬藩の歴史書「奥相志(おうそうし)」によると、相馬家の始祖といわれる平将門(たいらのまさかど)が軍事訓練として野生の馬を追い、捕らえて神前に奉納したことが始まりとされ、1千余年の歴史がある。
旧領地の下総(千葉県流山市付近)で将門以来行われてきた氏神、妙見(みょうけん)の野馬追いの祭りを、相馬に国替え後も引き継いだものと伝えられている。(BGMは、国歌:相馬流れ山)
福島県北東部の相馬三妙見社(中村神社、太田神社、小高神社)の合同例祭に合わせて行われる。
宇多郷(相馬市)、北郷、中ノ郷、小高郷(南相馬市)、標葉郷(双葉郡)の相双地方の五郷と呼ばれる地域一帯から、400騎余りの甲冑(かっちゅう)姿の騎馬武者が集結し、壮大な戦国絵巻を再現する祭りで、1978年、国の重要無形民俗文化財に指定された。
昨年(平成23年)は、激甚なる東日本大震災(3月11日14時46分18秒発生)により当初開催が危ぶまれたが、三社・五郷騎馬会をはじめ、日本中央競馬会や関係者の協力を得ながら、亡くなられた方々の鎮魂を願い、更には相双地方の復興のシンボルとして、「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」と称し、縮小開催された。
今年(平成24年)は、東北夏祭りの先陣を切って、7月の最終土(28日)、日(29日)、月(30日)曜日の開催となった。 |
1日目の宵祭りは、三妙見社でそれぞれ出陣式があった。とりわけ中村城址内にあり、総大将を擁する相馬中村神社では、より厳かに執り行われた。
螺役(かいやく)が高らかに螺を吹き、いざ出陣。
総大将を迎える北郷陣屋では、古式に則った儀式が行われ、その後、宇多郷、北郷勢の一隊は一路雲雀ヶ原(ひばりがはら)祭場地のある原町区に向かう。
2日目の本祭りは、2年ぶりに開催されたメイン行事の「甲冑競馬」と「神旗争奪戦」が行われた。
甲冑(かっちゅう)競馬は8レースに45騎が出走し、相馬一早い男を目指し、土煙を巻き上げた。
神旗(しんき)争奪戦では、約280騎が参戦。20発ののろしと共に打ち上げられた御神旗40本を、ムチをかざして奪い合った。御神旗を手にした武者が勝ち名乗りを上げ、本陣山への羊腸(ようちょう)の坂を駆け上がると、観客席から大きな拍手と歓声が上がった。
会場となった南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地を訪れた観客数は、一昨年(震災前)の約3万8000人を上回る約4万2000人と発表され、鎧兜(よろいかぶと)で身を包んだ騎馬武者が人馬一体で演じる勇壮な戦国絵巻に酔いしれた。
3日目の最終日は、相馬小高神社で野馬追の起源とされる神事、野馬懸(のまかけ)が行われる。
野馬追は、震災後の相馬の人々の復興への想いを刻みながら、また一つ、誇りある歴史の頁を綴っていく。
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