日本列島のほぼ真ん中あたり、石川県北部に位置し日本海にあごのように突き出た能登半島。いつかじっくり時間をかけてのんびり旅をしたいと思っていた。
日本海の豊かな恵みに育まれたこの半島は、長い歴史を重ねるうちに独自の文化を作り上げてきた。
富山から東は縄文遺跡、福井から西は弥生遺跡が多いと言われる中で、石川県能登半島は両者が拮抗しているいわば縄文と弥生の接点になっている。 遺跡や地名も内浦(半島の東側)は縄文由来、外浦(西側)は弥生由来と大雑把に分けることができる。
ところで、縄文の言葉は、アイヌ語を色濃く反映しており、ちなみに、『能登』の地名の由来も、アイヌ語の「ノッ」で【岬、あご】の意味だそうだ。
能登はかつて日本の表玄関だった。その中心に位置するのが輪島。輪島の由来は「倭島」。古代の大陸人による呼称だと言われている。能登半島が大陸との交易地であったことを物語っている。さまざまな文化が交錯した地であったことは、想像に難くない。
古来より大陸の文化はこの半島を基点に日本全国に伝えられたと思うと感慨深いものがある。
また、この半島には源氏・平家伝説や戦国時代の歴史を感じさせる名所旧跡も多い。
実は、出かける前に七尾出身の知人には、「能登は見るところ何も無いよ」と言われてきた。しかし、静かに広がる田園風景と美しい海岸線、海の青さと砕け散る波の白さは、天下一品の価値があると思った。
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能登半島を縦横に走り庶民の生活を支えてきた鉄道、七尾から輪島までの七尾線、穴水から蛸島にいたる能登線は、半島を活性化させる大動脈の役目を果していた。 しかし、平成13年、穴水駅から輪島駅間が廃線になった。さらに、来年春には穴水駅から蛸島駅までの廃止が決定しているそうだ。いくらモータリゼーションの進攻により道路網が整備されたり能登空港が開港したとはいえ、一抹のさびしさはぬぐいきれない。
海岸線沿いに能登半島を周遊したのだから当然だが、5日間、毎日果てしなく広がる海を眺めていた。内浦の穏やかさと対照的な、禄剛崎を境とした外浦の変化にとんだ荒々しい海岸線がとても印象的だった。
木板張りの外壁と黒光りした瓦屋根、そこに日本海の海の青さが重なり合う風景は、道すがら何度出会っても新鮮で、いつまで見ていても飽きない。
地元の人々とのふれあい、交わした短い会話の中に、忘れかけていた人間としての原点がよみがえり、心の捻じれがゆるやかに解けていくのを感じた。
まばゆい朝の光、きらめく青い海、赤く染まった日本海、春霞に滲む夕陽、そして、のんびり、ゆったり温泉につかる・・・。 まさにリフレッシュ休暇を十二分に堪能するにたる贅沢な時間が緩やかに流れていった。
能登半島への来訪はこれで2度目となる。いつも、めざすは富山湾越しに観る白銀の峯峰の連なる立山連峰だった。残念ながら今回も見ることは叶わなかった。
空気の澄んだ厳冬期に再び氷見を訪れ、次回こそ剣岳から昇るご来光を拝みたいものだ。
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