おわらの里・富山県富山市の八尾町。八尾(やつお)は、飛騨の山々から富山平野側へのびる八つの山の尾根に拓かれた地を意味するといわれてる。桐野山聞名寺(もんみょうじ)の門前町として栄え、かつては「富山藩の御納戸」と称されるほど経済力豊かな町で、街道の拠点として飛騨との交易や売薬、売薬用紙の販売、養蚕による収益などで繁栄していた。
「おわら風の盆」の開催地域である旧町と呼ばれる「東新町、西新町、諏訪町、上新町、鏡町、東町、西町、今町、下新町、天満町」は、神通川水系、井田川東岸の細長い丘陵地帯に町並みを連ねる美しい坂の町だ。
今もなお昔ながらの風情を色濃く残した諏訪町本通りは昭和61年、「日本の道100選」に選定された。また、通りの両側を流れる防火・流雪用水路「エンナカ」が奏でる水の音は平成8年、おわらの音色と共に「残したい日本の音風景100選」に選定されてる。
「おわら風の盆」はその旧町とJR高山本線、越中八尾駅周辺の「福島」を合わせた合計11の町で行われる。11地区に分かれた街筋のそれぞれで各町会が舞台踊りや町流しなど、20人ほどの一行で自主的に踊り、阿波踊りのように一堂に会するような事がない。
「おわら」の起源は、江戸時代の元禄期にさかのぼる。町外に流出していた「町建御墨付文書」を町衆が取り戻したことを喜び、三日三晩踊り明かしたことに由来するという。日々の生活の喜びを面白おかしく表現しながら、町を練り歩いたことが町流しの始まりで、「おおわらい(大笑い)」の言葉を歌詞に挟んで歌い、踊ったことが、「おわら」の語源になっているらしい。 |
「風の盆」の由来については、台風の時節に収穫前の稲が被害に遭わないよう、「風を治め五穀豊穣を祈るお盆行事」といわれる。
かつて風の盆は、8月中旬に行われていた。太陰暦から太陽暦へ統一されたのを機に、立春から二百十日目の9月1日からの3日間に改められたという。
「越中おわら節」の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。
艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。
町流しは、地方(じかた)の演奏とともに各町の踊り手たちが「おわら」を踊りながら町内を練り歩くものである。
この町流しが、古来からのおわらの姿を伝えるものとされている。 雨天時は、小雨でも中止となる。
身動きすら出来ないほどの混雑の中、町流しを目の当たりにした瞬間、否が応でも幻想的な不思議な世界に引き込まれてしまう。そして、頗る感動。参りました。
1985年に出版された高橋治の小説「風の盆恋歌」が、おわらブームの火付け役といわれている。 ふだんは人口2万人ほどの山間にある静かな町に、「風の盆」の3日間に30万人ほどの観光客が訪れるという。
情緒ある「おわら風の盆」は越中八尾に暮らす人々が大切に守り育んできた民謡行事であり、町民の生命ともいうべき特別な存在のようだ。 |