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山 寺
や ま で ら
宝珠山 立石寺
(撮影日:2011年7月24日)
貞観2年(860年)清和天皇の勅願によって自覚大師が開いた、天台宗の寺院。
根本中堂(こんぽんちゅうどう)
延文元年(1356年)初代山形城主・斯波兼頼が再建。入母屋造り5間4面の建物。
慈覚大師が自ら彫り込んだとされる薬師如来坐像や文殊菩薩、毘沙門天などが収められている。
ブナ材の建造物としては日本最古といわれ、天台宗仏教道場形式。国指定重要文化財。
招福布袋尊(しょうふくほていそん)
身体の悪い所を触って拝むと治るといわれている
常行念仏堂
鐘楼
除夜の招福の鐘
姥堂(うばどう)
本尊は奪衣婆の石像。ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口
奥の院までの1015段の階段を往く。
山寺の奇岩怪石と称される岩塊の特異な景観は、
立石寺への信仰と深く結びついて、宝珠山の独特の聖域を造り上げている。
山腹の斜面に直立する塔地形の岩体に掘り込まれた多数の風化穴は
凝灰岩が温暖多湿な間氷期に深層風化を受けたものらしい。
木製の後生車(ごしょうぐるま)が参道の途中にひっそりと置かれている。
せみ塚
松尾芭蕉が山寺で詠んだ句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石の塚を建てた。
---- 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 ----
仁王門と弥陀洞(みだほら)
岩盤に石塔形を刻印した岩卒塔婆、個人の供養のために戒名が彫られている。室町時代に野ものもあるそうだ。
仁王門
嘉永元年(1848年)に再建されたケヤキ造りの仁王門
性相院(しょうそういん)
最上義光霊屋(もがみよしあき たまや)
出羽山形藩初代藩主、伊達政宗の伯父に当たる。
関が原の戦いでは東軍につき、最上家を57万石の大名に成長させ、全盛期を築き上げた。
三重小塔
永正16年(1519年)建立。高さ8尺5寸(248cm)と小さく岩窟の中に納まっている。国指定重要文化財。
如法堂(にょほうどう)【奥の院】
慈覚大師が中国で修行中に所持していた釈迦如来と多宝如来をご本尊としている。
大仏殿
高さ5メートルほどある
金色の阿弥陀如来
像
大仏殿、奥の院
納経(のうきょう)堂と開山(かいさん)堂
立石寺を開いた自覚大師のお堂で、大師の木造の尊像が安置されており、朝夕、食飯と香を供えている。
納経堂
山寺で一番古い建物。写経を収める納経堂でこの真下に慈覚大師が眠る入定窟がある。
中性(ちゅうしょう)院、金乗(こんじょう)院
開山堂
五大堂
宝珠山を守る五大明王が安置され、天下泰平を祈る道場。
五大堂
この舞台からの景色はすばらしい。
五大堂からの眺め
山寺随一の展望台
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